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「過ぎた時間」のモバイルフォン

エディターズブログ 2018.09.21 (金) 12:19 PM

 

 

 のっけから実に私的なエピソードになりますが、2007年の10月頃から使用している携帯電話(2代目)が、もうすぐ12年目を迎えます。

 

 2002年3月頃に購入した初代が、約5年半で機能停止を迎えたことを思うと、2代目は結構傷つけたり落としたり(時には感情の赴くままにぶん投げたり)してきたにもかかわらず、今や人生の3分の1を共に過ごしてきたパートナーとして、日々の暮らしを支えてくれています。

 

 

 高校生の頃は「携帯電話なんて持つかよ」と嘯き、大学進学時は「メールアドレスなんか要らねえよ」と開き直り、20代前半には「ブログはやらねえ」と背を向け、30代に差しかかってからは「SNSは一生お断り」と(心のなかで)豪語していました。

 

 結果的に30代後半を迎えた今、さまざまな意味で必要に駆られてという事情はあるにしても、これらのすべてにリアルタイムで乗りかかっているのが、現状です。さて、今の自分のちょうど半分の年齢を生きていた高校生の私は、この状況を知ったとして、どう思うか……。

 

 

 そういうわけで話を戻せば、「最後の砦」のひとつとも言えそうなのが、携帯電話からスマートフォンへの乗り換えです。

 

 ただ、これまでの道程を振り返れば、2代目が何かの折に壊れてしまった場合、案外こだわりもなく新しいメディアに移行してしまうようにも思えます。

 

 

 誰もが当たり前のように利用しているメディアやサービスを使い始めることで、ライフスタイルをはじめとした自分の生活の一部分が、確実に変わってしまうのは否定できません。

 それでも抵抗感がないのは、変わることでしか経験できないものもあることを、20代の後半から30代の前半あたりから、それとなく感じ始めているからです。

 

 

 一方で、自分の本質的な部分は、メディアによって左右されるものではないとも自覚しています。未開のシステムに右往左往することになっても、それもまたいずれ、ルーティンのなかに落とし込まれて、当たり前のものになっていくのではないかと。

 

 

 でも、10年以上の歩みを共にしてきた携帯電話が手許にあることは、常に「いつかの自分」と「過ぎた時間」を振り返るトリガーにはなっています。

 

 あのとき、そのとき、このとき、私は何を思い、何に取り組み日常を過ごしていたのか、耳慣れたぱかぱかという開閉音とともに、折り畳み式の携帯電話が記憶を呼び覚ます装置として、手のひらに収まっている日々は、まだしばらくは続いていきそうです。

(編集部A)