ホーム > ブログ一覧 > 寝ても覚めても懊悩十二時

寝ても覚めても懊悩十二時

エディターズブログ 2019.02.26 (火) 2:12 PM

 

 「悩むということ」について考えてみると、1年365日たいていの時間は、眼には見えない懊悩の迷路をさまよっていて、家でも通勤電車でも道を歩いていてもパソコンを立ち上げても原稿に取り組んでいても、食事中もお手洗いに立っているときも、ずっと何かしらの悩みと向き合っている気がします。

 

 でも最近は、あまりにも迷い戸惑う要素が多くなり過ぎて、ある迷いが前面に押し出されることで別の悩みが後退し、そしてまたあるときにふっと、遠ざかっていた迷いが思い出したようによみがえってくることが、少なくありません。

 

 そうやって、思い悩む日々を重ねて、ゆっくりと確実に、40代が近づいて来ています。

 

 

 先日、父と何気なく言葉を交わしていたとき、自分の口から「これぐらいのことまでしか表現できないのが分かってきた」という台詞が、自然とこぼれ出していました。

 

 70を間近にした父も、グラスを片手に、俺もそうだよと静かに頷いて、でも「これぐらいのことまで」の中でやれるものは結構あることも、30以上の歳の離れた人間同士の間で共有できた瞬間でもありました。

 

 悟りとも諦めとも違う、身の回り半径数メートルの範囲でもがきながら、答えや形を求めていく。とはいえ、納得した矢先に気づけばまた、やはり何かに悩んでいる自分がいます。

 

 

 満たされていないものがある(と感じている)から、私自身も、この世の中の誰かも、悩みを抱えて生きているんだと思います。

 

 自分自身や周囲の状況に対する期待感があるからこそ、此処までは行けるというラインに辿り着けなくて、立ちはだかっている壁をよじ登っていけないことに、歯がゆさを覚えて地団駄を踏んでいて。

 

 そうして溜め込んだ鬱憤だったり、憤懣やるかたない気持ちを、身近な人にぶつけてしまったりするのですが。

 

 

 迷惑極まりない自分の立ち位置にまた、何やっとんのと「悩み」つつ、でも無視できないのは、一人の人間として突き抜けたい部分と、その実うだうだしていたい部分の、アンビバレントな感情が頭の中で高速スピンを繰り返していることです。

 

 その速度は一向に衰える気配がなく、でも、どちらに振れることもできない「私」を抱えていくこと自体は、意外とストレスではないのかもしれません。そんな、自分にとっての「ちょうどよさ」を見つけていくのが、三十代後半の今なんだと思っています。

 

 

 さて、これからの当面の目標は、そういう悩みは悩みとして心の奥深いあたりでくるくると撹拌させておいて、いずれ整った形で外の世界に解き放っていくことだと、頭の中で結論を見いだせたところで、もう少し先まで惑いの人生は続いていきます。

 

(本の種出版・編集部A)