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それは「気まずさ」とは違う

エディターズブログ 2016.10.21 (金) 1:30 PM

 

 ある平日の朝、遅れて乗り込んだ快速電車の車中で、十数年来の知人と、ばったり鉢合わせました。

 といっても、先に気づいたのはあちらのほうで、声を掛けられなければ、いつものように読書をしたまま、次の駅でするすると乗り換えをしてしまっていたと思います。

 

 情けないのは、相手の顔を眼にしても、すぐには誰なのか認識できなかったことです。

 思いがけない出会いに対する驚きや喜びよりも、「こんなところに知り合いがいるはずがない」という思考のほうが先に立って、現状を把握できずにぽかんとしてしまう自分がいました。

 

 結局、お互いに次の駅で降車して、そそくさと短く別れの言葉を告げ合うと、おのおのの目的地に向かって歩き始めました。

 横眼で遠ざかる知人の背中を眺めながら、突発的な出来事に対して、予想していた以上に対応できない自分がいることに、忸怩たる思いを抱いたのを憶えています。

 

 ただ一方で、出会った相手が自分にとってより親しい人だったとしたら、もっと別の反応ができたのではないか…。あとで振り返ったときに、そんなふうにも思えてきました。

 

 彼との関係を考えてみると、学生時代にある活動を共にしたこと以外に、顔見知りとはいえ、接点はほとんどありません。

 学生時代においても、殊更に嫌悪感を抱いたり避けたりといったことはなくても、何処か距離を置いた関係を保っていました。お互いに相手のことを、「なんとなく底の読めない奴だよな…」と感じながら、余所行きの態度や気遣いをもって接していた気がします。

 

 もちろん、学生時代の活動自体がそれなりに密度の濃いものだったので、その経験を共有してきたという信頼感は、お互いの間に確立されていると思います。

 その、友人とも仲間とも呼ぶのが難しい関係が、予期せぬ出会いに対するとまどいに、いっそう拍車をかけたのかもしれません。

 

 もし、次に同じような機会に恵まれるとしたら、そのときに自分は、彼は、どんな反応を示すことができるのか。

 たぶん、根本的には大きく変わることのない距離感や関係性について、あれこれ考えをめぐらせながら、今日も電車に揺られています。

(編集部A)