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残されるものの、その違い

エディターズブログ 2018.11.21 (水) 2:34 PM

 

 子どもの頃のこと、特に小学校へ入学するまでの記憶を、自分がどれだけとどめているのかを考えていました。

 

 

 思い出せるのは意外にも、大抵が楽しかったことよりも、衝撃的な事態に直面したときのことばかり。

 

 そうした物事も、経緯も含めたアーカイブ化がなされているというよりかは、印象的な場面やシーンだけが切り取られて、脳裏に浮かんでくるものが大半です。

 

 自分の周りにいた両親や兄妹、友人たちとどのように接してきたのかは、それが日常的なものであり過ぎるためか、あまりはっきりとは思い出せません。

 

 

 そんなことを考えたのは、日々、4歳の子どもと接していて、こうやって遊んだりゲラゲラ笑ったりした一つひとつの経験も、彼が成人する頃にはほとんど記憶に残らず上書きされてしまっていくのだろう、と思えたからです。

 

 互いに見ているものは同じでも、物事の蓄積と共有の仕方には、違いがある……。

 

 

 これから先も私は、幼少期の彼の姿や、彼とのやりとりを、それなりに記憶にとどめていけると思います。

 

 でも彼にとっては、いま眼に映り体験している瞬間の記憶は、限られた幼少期だけのものなのかもしれない。

 

 

 だとしたら、これだけ同じ時間を共有していたとしても、いつか振り返ったときに蓄積され思い起こされるものも、同一とは限らない。

 

 それが、家族という最も近しい関係性にある人間として、何とも不思議に思えてきました。

 

 

 見ているもののうちの、何が残っていくのか。

 

 笑ったことのうちの、何を思い起こしていけるのか。

 

 

 遠い将来に、彼の記憶に何を残すことができるのかを考えると、リアルタイムの自分のやるべきことが、なんとなくでも見えてくる気がしています。 

(編集部A)